thirozousanのブログ

大好きな歌を聞きながら、嫌んなる事も日々のりこえようとしてるおばさんです。

大変なママさん達へ未来のママから

新しい年になりましたね!(この書き出し、X'masですね、お正月ですね、、と三度めの書き直しです。今回こそは投稿したいと思っていますが、はてさて、、。)

 

新年を迎え、楽しみにしているhappyなママさんもいれば、それどころじゃない、忙しかったり、体調が悪かったり、悩みがあったり、自分の事なんか全く構えないような状況にあるママさんもたくさんいる事と思います。

 

スーパーや人混みの中で、子供をしかりつけているママさんや、あまりの泣き声に途方に暮れた顔をしたママさん、年末からこの時期に結構見かけました。疲れがでる頃ですよね?そんなママさんたちに出会うとキューンと切なくなるのは、まるで若い頃の自分を見ているような気になるからかもしれません。

 

変な人と思われないなら、嫌がられなきゃ、大丈夫?とお母さんに声をかけてあげたい、抱っこしててあげるから、一息ついておいでと、見ててあげるよ、頑張ってるよね、お母さん!と肩を抱いてあげたい、思いにとらわれています。

でも、そんなことしたら変な、危険なおばさんでしょ?だから素通りしますが、心の中ではエールを送っています。

頑張ってて偉いね、って、頭をなでて貴方は立派なお母さんだよ、と大丈夫なんだよ、と心の中で言っています。

 

それは私が、若い頃一番誰かに、して欲しかった、言って欲しかったことだから、、。

 

小さい頃からあまり親に構って貰ったことがなく、かといって虐待などされたわけではないのですが、うまく親子関係を築けないまま私は大人になっています。

頼れる親がいない、その辛さは子供を産んだ時に痛感しました。

自分や、夫の事ならなんでもこなせました。

でも、子供については未知、ましてや20年以上前は育児書だけが頼りで、そこから少しでも子供の発育やら成長がずれていると、 一喜一憂の日々でした。

夫も企業戦士である頃です。育休という言葉もできた当所で、実践するなんて一握りもいたかどうか、まだまだ女は家を守るなんて風潮がまかり通っていた頃です。

 

私は今でも、子供は私の子、私が育て上げた、と自負している位、孤独に耐えながら子育てをしたと思っています。

 

だから、私は自分の娘たちが凄く大事です。過保護であろうがなんでもしてあげたいし、辛い思いはさせたくない、悲しい時は一緒に悲しんで、とにかく幸せであって欲しい!それは、つまりはなりたかった自分なんだと思います。親が手を貸して、差しのべてくれればくれるほど、子供は安心してその手を離せるんだと思うんです。

 

あっという間ですよ!

下の子なんかはいつまでも、お弁当の話もしましたが、幼稚園に通ってたあの頃がつい昨日のように思えますが、もう二十歳です。

もちろん、順風満帆な子育てだったわけでもなく、反抗期やら泣かされたことも多々ありました。親として死にたい位悩んだことも、、。でも全てが今は良い思い出と笑える位、娘たちは私の手を離して歩けているんです。当たり前といえば当たり前ですけどね。

  

さて、ママ業に少しお疲れ気味のママさんたちに、そろそろ子育て終盤の、いつかのあなたたちの未来の姿の私から、確実なことを伝えたくて書きました。

 

それは、愛情は何より強いってことです!

貴女が今かけている子供への愛情は必ずや子供はかけたぶん、いえ、それ以上にして返してくれます。貴女が今疲れてて、それでも頑張っている姿を、子供はちゃんとわかっています。

だから、怒りたくなったら、泣きたくなったら、子供を抱きしめてさえくれればそれだけで良いんです。

何かと比べたくなるのが母親、でも、自分も子供も、一人きりのかけがえのない存在。

ママ業はストップしても、上手にいかなくても、一緒に笑って、考えて、泣いてくれれば

ママとして100点です。

だから、今ママさんである貴方は100点を勝ち取ったも当然!未来は私のように笑ってます。間違いなく!

だから、誉めて、笑ってくださいね!

貴女も、おこさんも。花丸💮なんですから。

 

 

けどどうしても、自分を責めてしまうママさんには、私が実践したこと、今度書きますからお待ち下さいね。

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

自分が欲しいから買うんだよね?!

今週のお題今年買ってよかったもの
皆様、おこんばんわ!
ずいぶんと寒くなりましたが、お風邪など召してはおりませんか?
すごーく久しぶりのblogです!
何があったわけでもなく、ただ師走!先生でなくとも忙しい(って、特に何もしてないけど)なんて、単に書かなかっただけのことであります。

なので、さぁて、突っ走りますよ!
お得意の否定論、お題のようでお題でない、「今年買って良かったもの」
  

私に何を聞く❗
そりゃあんた、聞くまでもなく、エレカシベストアルバムざんしょ。3月にエレカシに出会ってからというもの日々精進、お経の如くエレカシを聞きまくり、純粋なるエレカシの新教徒と化した私。
それ以外、エレカシ関連の物以外、何があるってんだい❗

でもです❗
言いたいことは、、あるんですよ❗

皆、間違ってないぞぉ、正しいぞぉ❗
欲しいと思ったから、色んな物買ったんだぞぉ❗
必要だから?欲しいから?ご褒美?どんなバージョンにおいても、シチュエーションにおいても、稼いだ金で買ったんだ、文句あっか?
なんだか、テンション高い私❗
すんません❗エレ友との忘年会が近く、飲んでないけど、浮かれてます❗



ってわけで、私は、どんなもんでも、欲しくて、稼いで、貯めて、思いきって、悩んで、買った物なら、み~んな花丸💮!自分に正直になって買った皆さま方に、エール❕ガッツポーズ❕やったね、コール送ります。
失敗だったかな?高すぎたかなぁ?いやいや反省なんかすんな❗ちょっとなぁ、なんて思うなぁ。思うなら来年はもっとバージョンアップしたもん買ったれー❗買ったあんたは偉いんじゃあ❗自分で考えて、納得して買ったもんなら全て良かったもんなんじゃあ❗
それが豊かな日本となって、いづれ自分に返ってくるんじゃあ❗


と、なんだか酔っ払いのように、訳のわからぬ展開をまくし立てておりますが、私この歳になってようやくこんな風に思えるようになりました。
吟味して、悩んで、結局買えない、買わない、でいた私でした。お金って?その物の価値って?色々考えると結局は手にしないで我慢して、いつ買うの?いつかは買えるの?今欲しくないの?と疑問符だらけにすると答えは見えてきました。
単に年取っただけだろ?の声もありますが、使ったもん勝ちと思いませんか?
お金を使って、品物を手にして、満足感、幸福感を得るって、自分を我慢させておくよりずっと自分に優しい気がしませんか?


さぁ、まだ今年はあります❗
これぞ、良かった!がまだない人は出かけますよ。今年最後の自分へのお楽しみを買いに。
レッツゴーです❗

結婚 を考えはじめた貴方へ

今回はちょっと毛色の違う話、自分とは直接関係ないんですが、娘のこと、そこから思うことなんかを書こうかと思います。お時間のある方、ちょっと興味を持たれた方には、ぜひ読んで欲しいなぁと思います。

 

私はもう50歳台のいわゆるおばさんで、娘が2人おります。長女が今年の夏結婚をして、25年間一緒に暮らした家族の元から離れてしまいました。

25歳での結婚とは、今の世的には早い方になるんでしょうか?私自身24歳で結婚したので、歳に違和感などはなかったのですが、主人は早いと猛反対でした。

もちろん歳だけではなくて色んな反対要素もあってのことで、それこそドラマ並みのハチャメチャでナイーブな花嫁の父になってくれました。

 

でも、私がここで話したいのは、娘の結婚への道程、親を説得してようやくの婚約、そして結婚へと至る、なーんていういわゆる感動秘話なんかではないんです。

娘の結婚感みたいなものが今のご時世では普通なのか、少し誰かに問うてみたいのです。いえ、もはや普通かどうかなんて事は、二人が幸せそうにしているのでどうでも良い事で、むしろこういう時代にはこういうことがアリなんだなと、問うというより伝えたい気がしたのです。

 

今は婚活という言葉がありますね?

内容はご存知ですか?

結婚のための活動、ですよね?男女が出会うきっかけのために企画されたパーティーや合コン、街コンなどに参加する。あるいは結婚相談所に入るなんてのもありますね?

それって私は、単純に、適齢期になってもパートナーが見つかっていない人がとる活動、という風に思っていたのですが、どうやらそうでもない、ということを実は娘が教えてくれたんです。

 

娘はなんと、24歳の時、まだ社会人になって2年という時期に結婚相談所に入会しました。 若いうちの結婚願望があるのは知っていました。

でも一生懸命受験勉強をして大学に入り、就活だって頑張って、ほぼ希望通りの会社に入れたのに、なぜ急いで結婚をしたいのか?私には疑問でした。

今の世の中です。せっかく入った損保会社なんです。まだ社会人としては2年位の、いわばぺーぺーが、考えることでしょうか?

 

そりゃあ、驚きました!

母親からすると、早く言いなさいよ!なら大学なんか行かなくたって良かったじゃない!お金のムダ!花嫁修業でもしてれば良かったんじゃないの!、、、に尽きるんですが、彼女曰く、逆だと言うんです。

 

女である以上、結婚して、子供を産んでまでは普通に考えること!そこにプラスしたいのは幸せ!自分の考える幸せに近づくには大学、就職は必要なこと!

 

はっきりそんなことを言ったわけではないのですが、彼女の行動には自分なりのポリシーがあって、それはもう揺るぎなく、相談所に入会して間もなく、彼女は料理教室に通ったり、それは忙しい日々を送ってました。

 

相談所は結婚相手をみつける場所ですから、それぞれの男女が結婚をめざしています。お互いの素性など様々なことに偽りのないプロフィールがあって、安心感もあって、彼女が理想の男性と出会うまで時間はたいしてかかりませんでした。

と、まぁ、ここまでもよくある話かもしれません。実はまだ本題ではありません。もったいつけているわけではないのですが、、。

 

彼女は結婚後のある日、独身の女友達と会っていてふと思ったようです。その友達は彼がいるのに、いつも悩んでいる話をする。本当に彼を好きなのか、はたまた馴れ合いで一緒にいるだけなのか、このままでよいのか?など。若いカップル間にはよくあるような話ですよね?

でもその話を聞きながら、娘は別なことを強く思っていたようです!

 

彼女には、絶対幸せになってほしい!

 

自分が幸せになったんだから、友達にも幸せになってほしい。色々悩まずにすむ相手を見つけてほしい、、。

 

その後の彼女の行動は相談所に入会する時と同様、電光石火のごとく、でした。

思いをパートナーに伝えて賛同を得ると、二人で翌日から勉強をはじめ、ついには結婚相談所を開くことにしたのです!!

彼女は言いました。

この結婚相談所を開設すれば、もし友達が新しい出会いを求めるならば力になれるはずだし、これをきっかけに自分の本心、彼との幸せを求めているのかどうかを見極めようと思うかもしれない、と。

そして何より、自分たちはそこをきっかけとして幸せになったのだから、その事実を、相手のまだいない人、或いは見つけたい人、必要な人、相手がいても悩んでいる友達のような人、たちに身をもって伝えることができる。

娘の話を聞いた旦那様の方が、自分たちには天職かも、と思ってしまったほど彼女の気持ちは強く、迷いがなく、二人は結婚相談所を開きました。母である私も驚きのあまりこうして書いてみようと思ったわけです!

 

自分が幸せだから人にも幸せになってほしい!

彼女の言い分ですが、これって、幸せな人にしか言えないことだと思うんです。違うのかな!?

私は今色んなことがありすぎて、他人の幸せのために何かをしてあげたい、までの気持ちには至れません。むしろしてほしい位(笑)です。

でも、そんな娘たち夫婦の熱い思いは私をも幸せな気持ちにしてくれました。

自分にはできなくても、人が笑う顔、笑顔は繋がっていくと感じますし、とくに娘のような若い人たちには笑っていてほしいとつくづく思うんです。

結婚式に来てくれた娘の友達は、皆チャーミングで、華やかで、生き生きしていて、若いって素敵だなと私には映りました。そんな若い人に笑顔が似合うのは当然ですし、笑顔でいて欲しい。なら、、、。

 

何を言いたかったのか伝わったでしょうか?

 

きっかけ です。

 

どんなきっかけであれ、変わりたいと願う人にはそれはチャンスなんじゃないかってことです。

誰でも持っている理想や欲望、願い、そこへ向かうには色んな努力は確かに必要だと思います。でもそれ以上に、一歩踏み出すきっかけや出会いがあれば目的にはもっと早く近づける、娘が開いた結婚相談所はまさに、チャンスの場と言う気がするんです。

 

今何気なくここまで読んでくれた方は何かしら悩んでいる方なのでしょうか?

相手の必要な結婚、を意識するなら娘のような考え方は大いにあると思います。

なんたって結婚がすべての世の中ではないし、だからこそ失敗も許される、なら、作られたきっかけでも利用していくのは、むしろ当然かもしれない、って思うんです。

もし、こんな娘に会って話を聞いてみたい、或いは、自分もチャレンジしてみたくなった、という方のために、URLを載せようと思います。

http://www.lamariee810.com/

 

決して宣伝のつもりはないんです。

おばさんからの、なかなか結婚に踏みきれない若者に、その気があるなら簡単かも、とちょっとした提言?です。

確かに初めは、恋愛で結婚するのが幸せじゃないのかだの、そこまでしなくてもだとか、親として色々思いました。でも、相手に出会ってから娘は純粋に恋愛してましたし、単純に恋愛にあったりする年齢詐称や既婚者なんていうリスクにも当たらないことは、親としての安心材料でもありました。

 

今、辛い日々ながら、エレカシを聞いてがんばってるおばちゃんの話です。おばちゃんでも新たな一歩を踏み出したから、がんばれています。

 

もし、このブログを読んでくれた方が、これをきっかけに娘の相談所に入ることなったりしたら、きっかけは2乗、私の笑顔も娘と2乗になります。その時は嬉しすぎるので、私からも何かプレゼントを考えます。

 

来年はカップル目指す、いとも簡単に、ってのはどうでしょうか?

 

 

私の癒やしは、絶対皆々様にも、癒やしのはず!!

今週のお題「私の癒やし」
待ってましたのこのお題、おばちゃんが語っちゃっても良いんでしょうか?


もう、もう、何をおいてもエレファントカシマシの歌!これにつきます!
もはや彼らの音楽を聞かない日はないし、宮本さんの声に日々癒やされ、元気づけられ、時にはどっぷり浸かって現実逃避したりしながら、生活しているという感じです。

本当に、今回は、、、
エレファントカシマシって?
エレカシって?
宮本広次って?
どんな歌?
聞いてみっかな?
的な人を1人でも獲得すべく、そしてあわよくば私と同じ沼に取り込むべく、誠心誠意、心を込めて書かせていただきますので、皆々様も、是非とも心して読んでくだされ!!



エレファントカシマシのボーカリスト、歌係と称する宮本浩次様は男の中の男の代表と言えるロッカーです。
御年51歳になりますが、年齢なんか全く感じさせないパワフルな歌声、丁寧に歌う彼の歌には、好き嫌いは別としても、目を惹かれるというか、足を止める感じのインパクトがあります。
私はまさしく、その1人であります。


30年以上も前に、エレカシというバンド、歌、を聞いたことはあっても、私の当時のお気に入りは、浜田省吾でしたから、あまり気に留めることもなくて、それが、今年の2月でしたか?記憶にある方もたくさんいらっしゃるでしょうが、朝の情報番組「スッキリ」に出演したエレカシ様方を、懐かしいな位に家事の合間に立ち止まって見ていた私は、まずは目が宮本さんに釘付け、歌を聞いては耳がとりこ、しまいには正座してしまうほど、全身でエレカシに見いってしまいました。
こんな感覚、昔の好きだったスターにも感じた事はなく、そのあとはYouTubeを漁りまくり、速効CDを買い、夏には何十年かぶりのライヴに大枚はたいて参戦して参りました。
エレカシ愛は深まるばかりで、エレ友なる人もでき、先日はエレカシの聖地「赤羽」も巡礼して参りました。(ま、私の意図を組んでいただけました際にはサインなどの写真もお見せしたいなと思ってはおりますので、ぜひご賛同を、と、もったいぶる!)


で、ここからはエレカシの魅力をお伝えしたい。
もちろん、まだ1年足らずの若輩ファン、端くれ者ですから、大御所ファンの方にはお叱りを受けそうですが、そこはエレカシファン、みーんな優しい、素敵な方ばかりだから、こんなちんけなおばちゃんの語らいなんて無視してくれるだろ~と判断して、、。



さてさて、エレファントカシマシに少しでも興味をもたれた方、どんな歌がお聞きになりたいですか?
今の気分はどんなでしょう?
エレカシの歌はとにかくズキュンと来ます。それが、今の気持ちにジャストフィットしたら、もうあなたはきっととりこです。そのあときっと何度も聞くことになることでしょう。(って、占い師か!)



まずはスタンダードですが「悲しみの果て」を語りたい!
はじめてこの曲を聞いた時には、正直あっけにとられたといいますか、彼の熱唱とメロディのみにやられたという感じでした。その後、何度となく聞くうちに彼の音をきちんととる丁寧な歌いかた、取り巻くメンバーの楽器の音が本当に心地よく、さらには歌詞の深さに泣かされるというか、普通の発想にはない彼の感性に心打たれます。
この歌をカバーしている方の歌も聞いたたのですが、本家に勝るものなし!
エレカシの悲しみの果て、ぜひ聞いてほしいです。

今辛い方。
どん底の方。ちょっとしんどい方。
立ち上がれない、気がする方。
そして、なんだかせつないあなた!
エレカシの歌に癒やされて、泣いて、這い上がって来て下さい。
そして、エレカシのライヴに行きましょう!(なんか、主旨が違ってる?)


歌詞を抜粋します。
全部書かなくとも、きっと彼の歌詞には響くものがあると思うので。

悲しみの果てに何があるかなんて

俺は知らない。見たこともない。

涙のあとには笑いがあるはずさ。

悲しみの果ては素晴らしい日々を送って行こうぜ。

本当に抜粋、抜き書きですが、その方が興味沸きませんか?
私が押したいのは、宮本さんの前向きな歌詞なんです。悲しみの果てにあるのは素晴らしい日々なんて発想は私には驚きで、泣きながら頷いていました。
大袈裟に聞こえるかもしれませんが、この歌を知ったからこの先頑張れるって思えました。
エレカシの歌は全てそう!
色んな揶揄した歌があったりしますが、全て生きていく前提のガッツソング、応援歌に聞こえます。
皆々様、私の熱い思い伝わりましたでしょうか?この歌で、私は色んな事からたちあがっているのは事実です。 
さあ、みんな、エレカシ聞こうぜ!


と、1曲語っただけで、かなりの時間を使ってしまった!このままでは完了しない!というわけで、エレおばファン、もっともっと語りたいのはやまやまですが、読んでもらうのが先だろ!ってことで、、、。
今週のお題  「私の癒やし」でした。

幸せって、なんだっけ?

今週のお題「行ってみたい場所」
先週のお題「お弁当」では、たくさんのお星さまをつけて頂き、ありがたき幸せ!ありがとうございました!
感謝感激で気をよくして、調子乗っちゃって、今回もtryです。


今週のお題「行ってみたい場所」
いやいやもう、夢だろうが、妄想だろうが構わないと言われたら、そりゃあ、あなた、行きたい所は宮本さんのお家!練習場所!ご飯食べに行く所!美容院!はたまたコンビニ!と、とにかく出没する場所は全てがまずは一番に行ってみたい場所!

・・なんですが、これではもうエレカシ愛を語るだけで終わってしまうので、それはお題とは別に、いづれとくと語らせて頂くとして、おばさんにも行きたい場所、実はあるんですよ!


ちょっとミーハーかもしれませんが、この言葉を知ってから気になってるんです。
それは、、。  
       HYGGE

ヒュッゲと読むらしいですが、知ってますか?
北欧デンマーク、日々の暮らしの中での空気感や居心地を大切にし、自分らしくある幸せ、を感じる生活を送って行きましょう!的な幸福感を総称しての言葉のようです。
何かの記事で目にしただけなので詳しくなく、最初はブータンの様な国のお話かなと思ったんですが、ちょっと違うんです!

ブータンは世界一幸せになれる国でしたっけ?日本人としては昔の昭和を思い出させるような国。良く言えば人々がかかわりをもちながら生活していた頃、悪く言えばプライバシーなんてなかった頃、のイメージのまんま昭和世代の私は、正直あまりブータンに魅力は感じないんです。
あの頃の日本に哀愁を感じるほどの年ではなく、かといって今の日本にはついていけないような中途半端な私世代なので、あんまり時代背景としては戻りたくはない場所のような、ま、それはともかくとして、、。

なので、ただの懐古趣味というのならたいして興味はわかないのですが、このヒュッゲについては、今の時代を生きる人の感覚が混じっています。
若い人らが、インスタなどに夢中になるのは、写真をあげる行為が楽しくてなの?そこに本当に幸せを感じているの?それとも本当は苦痛や焦りや面倒も感じつつ、やらねばならぬ立場関係があったりするの?
本当はやめたいの?


なーんていう訳のわからない感情なんか全て取っ払って、
暖炉の前で、好きな飲み物を持ってきて、好きな毛布やクッションを抱えて、好きな歌を聞いたり、本を読んだり、語ったりしましょう!
という、Hugge。
うーん、なんて魅力的!!
人の本心はこれ!じゃないですか?

そんな簡単な事なのに、心地よいとわかってる事なのに、今の日本ではなかなかできない。もちろん私にも、できません!
だからこそ、行ってみたい!
その感動?普通にあるべき幸せ?を感じる事ができるのか、確かめたい!
というわけで、やっとの結論です!

デンマークに行きた~~~い!!

不思議なお弁当

今週のお題「お弁当」、このお弁当という言葉にはたくさんの思い出がつまっています。

もはや50代のおばさんとなった今の私のお弁当と言えば、ご飯の支度をさぼった時か、ご当地フェアで買うもの位になってしまいましたが、一応お母さんとして数十年間、子供が幼稚園の頃からお弁当は作ってまいりました。

ですが私、お弁当作り、本当に苦手で、娘でしたし可愛く作ってあげたい思いはあっても、その当時の情報なんて本ぐらいでしたし、正直、冷凍食品には凄く助けられました。

そんなお弁当作り生活の中で、特に記憶に残っているお弁当があります。
それは、娘が幼稚園の時の事です。

毎日お弁当持参、という幼稚園を選んでしまい、私は四苦八苦しておりました。
自由奔放、子供には天国、のような幼稚園でしたので、子供に反比例して私はその頃常に苛立っていたように思います。

いつもと違って、娘が幼稚園にすんなり入らない日がありました。

「今日はお砂遊びする、ママもいて。」
子供の駄々がまかり通る園でしたし、結局朝から帰りまでいてしまった、という親もいるくらいで、つかまったら大変と、私は逃げ腰で忙しいを連発しました。
ですが、その日は先生にも捕まってしまったのです。
「たまには見学してってください。おもしろいですから。」の言葉に、私はその日諦めて娘と園に入ったんです。

確かにそんな幼稚園ですから、多種多様な事をする園児たちには驚かされました。でも一番驚いたのはお弁当の時でした。
うわっ!今日は何入れたっけ?手抜きじゃない?彩り大丈夫だっけ?と朝の様子を思い出していると、娘が近寄ってきて、
「○○ちゃんのお弁当見て!今度はあれにして。帰り買い物行こうね。」と耳打ちをしてすぐに自分の席に戻ってしまいました。
なるほど、とようやく合点がいきました。作って欲しいお弁当を見せたかった訳です。
さぞかし、可愛らしいお花柄?大好きなオムライス?今で言うキャラ弁?などを思い浮かべながら○○ちゃんの方に目を向けると、、、。
本当に驚きました。
○○ちゃん、お弁当箱を両手で持ち、上下に振り回しながら歌を唄っています。
そのお弁当からは、なぜかカシャカシャと音がして、まるでマラカスのよう?!
何が入ってるんだろう?
私の目は釘付けでした。
「いただきます!」の声と同時に蓋を開ける音。私は思わず立ち上がって覗いていました。

なんだかわかりますか?

そのお弁当の中身は、、、。

コーンフレークでした!
幼稚園では牛乳が出てましたから、彼女はそれを飲まずにお弁当箱に注ぐのです。そして持参のスプーンですくう!
シャクシャクと咀嚼する音が小気味良く、、そういえばよく娘が買ってくれと言っていました。でも、お菓子のような気がして私は買い与えませんでした。
それが娘には私が怒っているように映ったのでしょう。怖くて、お弁当にコーンフレークなどとは、見せる事でしかうまく伝えれなかったんですね。
帰り道、手を繋いでコーンフレークを買いにいったのは言うまでもありません。

後日、○○ちゃんのお母さんからは、栄養が足りないのでは?と先生に怒られた話や、その後、ならば、と二段弁当にしてコーンフレークを追加したみたいな話を聞いて、お弁当を気楽に考える事ができるようになった私です。

これはちょうど暑い夏になる頃の話でしたから、これからの季節では不向きなメニューかもしれません。

でも、お弁当で悩んでる方には、発想の転換や非常識さ、が大切なのかもしれません。
いづれはなくなるお弁当作りです。
精一杯、楽しんで頑張って下さい!

自分考察 好き?嫌い?

自分の事が好きな人と嫌いな人、世の中には一体どちらが多いんでしょうか?

 

単純に考えると、自分の事だし好きで当然でしょ?の気がしますが、私も含め友人にも、好きなわけないじゃん!という人は結構多くいます。

 

例えば、嫌いな事や物を好きになる努力はやろうと思えばできるけれど、いざ自分のこととなると、努力だけではなかなか好きにはなれません。嫌な面ばかりが目について自己嫌悪に陥る、治したいと思うあまり人と比べてさらにめげる、自己否定、とどちらかといえば悪循環になりやすい気さえします。

明るくとか、前向きにとか、なりたい自分やお手本はいっぱいあるけれど、そこに近づくことが難しい。

難しいからこそ、もう諦める、も、もちろんあると思います。今まで生きてきた過程に於いて自分は形成されてきたわけですから、その状況、環境などによっては無理!と決めつけてしまうのも仕方ない気もします。

でも、じゃあ好き、嫌いと分かれてしまうのは何故なのでしょう?

 

私はこの頃、大分自分は自分に甘くなってきたと感じていますが、若い人はよく自分にご褒美などという言葉を使いますよね?

欲しいもの、特に自分としては高価に思う買い物をしたい時など、頑張ってる私にご褒美、という風に。

私は、それは前置きのように付ける事で、欲しいものを買って良いと自分を納得をさせるというか、買う口実、一種の言い訳にしているのだと思っていました。

でも、自分が大好きなうちの娘、に云わせるとそれは本心らしいです。自分が欲する物が高価になればなるほど、本当に自分は頑張ったなと思うし、自分が好きだからこそ、相応しいものを買ってあげたいと思うと。

娘ですから、何を小娘が偉そうに!とは思いますが、その小娘の友達やらにも同じような事を言われると、今の子ってスゴいなぁって思うんです。自分が好きと思えるなんて、そう言えるなんて、なんて幸せなんだろうと思うんです。

だって、自分が好きなら、自分のどんな事でも許せるでしょう?自分に優しくもできるでしょう?そして、自分を大事にもするでしょう?その結果、自分の満足感に繋がって、他の人も認めてあげる事ができるでしょう?

って思うんです。

違うんですかね?

 

先ほどの好き嫌いを考えた時も、自分が好きな人たちはいかに愛情をたくさんもらって、どれだけ肯定されてきたか、という人との関係性やあり方にこの事は関わってるんじゃないかって思います。

愛してくれる親や家族が、自分を受け入れ、認めてくれて大事に育てられた人達。比べると私らおばさん世代、と言ったら語弊アリですね。少なくとも私はですが、そこまで手をかけられたわけではなかったし、どちらかといえば同時期の子供たちはしたいこと、欲しいものにはダメダメと言われ、否定が常でしたから、ある程度の年齢の人は、我慢はできるものの自分が可哀想に思えたり、そこに卑屈さも加わって自己否定の気持ちが強くなってしまったと考えるのは間違いでしょうか?

 

と、ここまで書いた時、自分が嫌いだという人はそれだけ自分が気になっている、気になるというのは嫌いだからではない、どこかで好きになりたい意識があるのだという、子供の頃、よく好きな子にいたずらをしていた男の子を思い出すような話の記事を目にしました。

なるほど、そういう考え方もあるんだな、とは思いました。

 

でも、本当は好き?

そんな自分ではわからないような潜在意識ってあるんでしょうか?

人って本来は自分が好きなんでしょうか?

 

 

その記事の続きでは、自分を認める、許すことが大事ともありました。これもよく聞く事ではありますが、これこそが難しいです。

嫌いな自分のその嫌な箇所を認める、そんなもの、見たくもないからこそいつまでも自分が嫌いなんです。

許すとは認めること?認めなくても理解すること?いづれにせよ、嫌だから見ないように蓋をしてるのに、対峙する事事態したくない。

 

私はどちらかといえば、自分の嫌いなところは嫌いなままというか、認識もせず、気にもせずにいる気がします。それでもたまに顔を出す嫌な自分を見ずにいたいため、逆に自分に付加を課して頑張っている自分や好きな自分を増やす事に勢を出しています。

それはどちらかといえば、自分を苛めてさらに辛くしているように思われたりしますが、私にはその方がずっと楽です。

自分を苛める行為には、一生懸命さがついてくるし、そんな自分がいとおしく酔えます。それに自分に課す付加にはきっと加減があります。辛いとはいえ限界までなんて事はなくて、自分が楽しめる限界点までのプロセスを楽しんでいる。

あれ?自分がいとおしい?酔う?楽しませている?!それって、、?

 

さっきの記事の話だ!

自分が嫌いなはずなのに、自分を楽しませたいと思っている!

もろ、自分を気にして、あげく心地よくさせてるじゃないか!!

 

そーなんだ!!

 

どんなに回り道した考え方をしたり、ひねくれた考え方をしても、自分は自分を楽しませたいし心地よくしたいんだ。

自分だから、自分以外の誰でもないから、自分で楽しませるしかないし、それならとことん楽しくさせたいし、させてもよいはず。

自分の性格や考え方、嫌いな部分はいっぱいあるけど、それをいちいち認めたり、治そうとして苦しんだり、無理、嫌、なら、何もしなくていい。

どんな自分も自分だから。だれにも代われないから。

 

自分で考察して、少し気が楽になりました。

適当で良いんだ、そう思いませんか?

嫌いな自分だけど、楽しませる方法は誰よりも知ってるんです。好きなものを食べたり、好きな歌を聞いたり、友達とお喋りしたり、癒して、笑って、好きな自分を作る方法も誰より一番よく知ってるんです。

笑っていれればそのうち自分が好きになる、そんな気がしませんか?

自分が嫌いな人、そんな日々を送って行きませんか?行きましょうよ、一緒に!!