thirozousanのブログ

大好きな歌を聞きながら、嫌んなる事も日々のりこえようとしてるおばさんです。

不思議なお弁当

今週のお題「お弁当」、このお弁当という言葉にはたくさんの思い出がつまっています。

もはや50代のおばさんとなった今の私のお弁当と言えば、ご飯の支度をさぼった時か、ご当地フェアで買うもの位になってしまいましたが、一応お母さんとして数十年間、子供が幼稚園の頃からお弁当は作ってまいりました。

ですが私、お弁当作り、本当に苦手で、娘でしたし可愛く作ってあげたい思いはあっても、その当時の情報なんて本ぐらいでしたし、正直、冷凍食品には凄く助けられました。

そんなお弁当作り生活の中で、特に記憶に残っているお弁当があります。
それは、娘が幼稚園の時の事です。

毎日お弁当持参、という幼稚園を選んでしまい、私は四苦八苦しておりました。
自由奔放、子供には天国、のような幼稚園でしたので、子供に反比例して私はその頃常に苛立っていたように思います。

いつもと違って、娘が幼稚園にすんなり入らない日がありました。

「今日はお砂遊びする、ママもいて。」
子供の駄々がまかり通る園でしたし、結局朝から帰りまでいてしまった、という親もいるくらいで、つかまったら大変と、私は逃げ腰で忙しいを連発しました。
ですが、その日は先生にも捕まってしまったのです。
「たまには見学してってください。おもしろいですから。」の言葉に、私はその日諦めて娘と園に入ったんです。

確かにそんな幼稚園ですから、多種多様な事をする園児たちには驚かされました。でも一番驚いたのはお弁当の時でした。
うわっ!今日は何入れたっけ?手抜きじゃない?彩り大丈夫だっけ?と朝の様子を思い出していると、娘が近寄ってきて、
「○○ちゃんのお弁当見て!今度はあれにして。帰り買い物行こうね。」と耳打ちをしてすぐに自分の席に戻ってしまいました。
なるほど、とようやく合点がいきました。作って欲しいお弁当を見せたかった訳です。
さぞかし、可愛らしいお花柄?大好きなオムライス?今で言うキャラ弁?などを思い浮かべながら○○ちゃんの方に目を向けると、、、。
本当に驚きました。
○○ちゃん、お弁当箱を両手で持ち、上下に振り回しながら歌を唄っています。
そのお弁当からは、なぜかカシャカシャと音がして、まるでマラカスのよう?!
何が入ってるんだろう?
私の目は釘付けでした。
「いただきます!」の声と同時に蓋を開ける音。私は思わず立ち上がって覗いていました。

なんだかわかりますか?

そのお弁当の中身は、、、。

コーンフレークでした!
幼稚園では牛乳が出てましたから、彼女はそれを飲まずにお弁当箱に注ぐのです。そして持参のスプーンですくう!
シャクシャクと咀嚼する音が小気味良く、、そういえばよく娘が買ってくれと言っていました。でも、お菓子のような気がして私は買い与えませんでした。
それが娘には私が怒っているように映ったのでしょう。怖くて、お弁当にコーンフレークなどとは、見せる事でしかうまく伝えれなかったんですね。
帰り道、手を繋いでコーンフレークを買いにいったのは言うまでもありません。

後日、○○ちゃんのお母さんからは、栄養が足りないのでは?と先生に怒られた話や、その後、ならば、と二段弁当にしてコーンフレークを追加したみたいな話を聞いて、お弁当を気楽に考える事ができるようになった私です。

これはちょうど暑い夏になる頃の話でしたから、これからの季節では不向きなメニューかもしれません。

でも、お弁当で悩んでる方には、発想の転換や非常識さ、が大切なのかもしれません。
いづれはなくなるお弁当作りです。
精一杯、楽しんで頑張って下さい!

自分考察 好き?嫌い?

自分の事が好きな人と嫌いな人、世の中には一体どちらが多いんでしょうか?

 

単純に考えると、自分の事だし好きで当然でしょ?の気がしますが、私も含め友人にも、好きなわけないじゃん!という人は結構多くいます。

 

例えば、嫌いな事や物を好きになる努力はやろうと思えばできるけれど、いざ自分のこととなると、努力だけではなかなか好きにはなれません。嫌な面ばかりが目について自己嫌悪に陥る、治したいと思うあまり人と比べてさらにめげる、自己否定、とどちらかといえば悪循環になりやすい気さえします。

明るくとか、前向きにとか、なりたい自分やお手本はいっぱいあるけれど、そこに近づくことが難しい。

難しいからこそ、もう諦める、も、もちろんあると思います。今まで生きてきた過程に於いて自分は形成されてきたわけですから、その状況、環境などによっては無理!と決めつけてしまうのも仕方ない気もします。

でも、じゃあ好き、嫌いと分かれてしまうのは何故なのでしょう?

 

私はこの頃、大分自分は自分に甘くなってきたと感じていますが、若い人はよく自分にご褒美などという言葉を使いますよね?

欲しいもの、特に自分としては高価に思う買い物をしたい時など、頑張ってる私にご褒美、という風に。

私は、それは前置きのように付ける事で、欲しいものを買って良いと自分を納得をさせるというか、買う口実、一種の言い訳にしているのだと思っていました。

でも、自分が大好きなうちの娘、に云わせるとそれは本心らしいです。自分が欲する物が高価になればなるほど、本当に自分は頑張ったなと思うし、自分が好きだからこそ、相応しいものを買ってあげたいと思うと。

娘ですから、何を小娘が偉そうに!とは思いますが、その小娘の友達やらにも同じような事を言われると、今の子ってスゴいなぁって思うんです。自分が好きと思えるなんて、そう言えるなんて、なんて幸せなんだろうと思うんです。

だって、自分が好きなら、自分のどんな事でも許せるでしょう?自分に優しくもできるでしょう?そして、自分を大事にもするでしょう?その結果、自分の満足感に繋がって、他の人も認めてあげる事ができるでしょう?

って思うんです。

違うんですかね?

 

先ほどの好き嫌いを考えた時も、自分が好きな人たちはいかに愛情をたくさんもらって、どれだけ肯定されてきたか、という人との関係性やあり方にこの事は関わってるんじゃないかって思います。

愛してくれる親や家族が、自分を受け入れ、認めてくれて大事に育てられた人達。比べると私らおばさん世代、と言ったら語弊アリですね。少なくとも私はですが、そこまで手をかけられたわけではなかったし、どちらかといえば同時期の子供たちはしたいこと、欲しいものにはダメダメと言われ、否定が常でしたから、ある程度の年齢の人は、我慢はできるものの自分が可哀想に思えたり、そこに卑屈さも加わって自己否定の気持ちが強くなってしまったと考えるのは間違いでしょうか?

 

と、ここまで書いた時、自分が嫌いだという人はそれだけ自分が気になっている、気になるというのは嫌いだからではない、どこかで好きになりたい意識があるのだという、子供の頃、よく好きな子にいたずらをしていた男の子を思い出すような話の記事を目にしました。

なるほど、そういう考え方もあるんだな、とは思いました。

 

でも、本当は好き?

そんな自分ではわからないような潜在意識ってあるんでしょうか?

人って本来は自分が好きなんでしょうか?

 

 

その記事の続きでは、自分を認める、許すことが大事ともありました。これもよく聞く事ではありますが、これこそが難しいです。

嫌いな自分のその嫌な箇所を認める、そんなもの、見たくもないからこそいつまでも自分が嫌いなんです。

許すとは認めること?認めなくても理解すること?いづれにせよ、嫌だから見ないように蓋をしてるのに、対峙する事事態したくない。

 

私はどちらかといえば、自分の嫌いなところは嫌いなままというか、認識もせず、気にもせずにいる気がします。それでもたまに顔を出す嫌な自分を見ずにいたいため、逆に自分に付加を課して頑張っている自分や好きな自分を増やす事に勢を出しています。

それはどちらかといえば、自分を苛めてさらに辛くしているように思われたりしますが、私にはその方がずっと楽です。

自分を苛める行為には、一生懸命さがついてくるし、そんな自分がいとおしく酔えます。それに自分に課す付加にはきっと加減があります。辛いとはいえ限界までなんて事はなくて、自分が楽しめる限界点までのプロセスを楽しんでいる。

あれ?自分がいとおしい?酔う?楽しませている?!それって、、?

 

さっきの記事の話だ!

自分が嫌いなはずなのに、自分を楽しませたいと思っている!

もろ、自分を気にして、あげく心地よくさせてるじゃないか!!

 

そーなんだ!!

 

どんなに回り道した考え方をしたり、ひねくれた考え方をしても、自分は自分を楽しませたいし心地よくしたいんだ。

自分だから、自分以外の誰でもないから、自分で楽しませるしかないし、それならとことん楽しくさせたいし、させてもよいはず。

自分の性格や考え方、嫌いな部分はいっぱいあるけど、それをいちいち認めたり、治そうとして苦しんだり、無理、嫌、なら、何もしなくていい。

どんな自分も自分だから。だれにも代われないから。

 

自分で考察して、少し気が楽になりました。

適当で良いんだ、そう思いませんか?

嫌いな自分だけど、楽しませる方法は誰よりも知ってるんです。好きなものを食べたり、好きな歌を聞いたり、友達とお喋りしたり、癒して、笑って、好きな自分を作る方法も誰より一番よく知ってるんです。

笑っていれればそのうち自分が好きになる、そんな気がしませんか?

自分が嫌いな人、そんな日々を送って行きませんか?行きましょうよ、一緒に!!

 

 

 

 

 

久々の旅~! part②

変なところでおわってしまったpart①ですが、ちょっと長くなりそうだったものでm(_ _)m!

 


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 翌日は天気もよく用事を早くからこなし、それでも午後になってしまいましたが、少し観光に行くことにしました。

私は何度も行ったことのある場所ですが、主人はお初!さぞや喜ぶんじゃ、と思いきや、ふーん、と遠巻きに眺めたのみで、「アイスでも食うかな?」と売店へ。

これにはさすがに温厚?な私でも、後ろからどついて、目の前の湖に落として、スワンで引き殺したろか!と思ったほど。

 

なんてつまらんヤツなんだ!!

 

レンタカーまで借りて、わざわざ私が運転までして、連れてきてやったのに!礼儀知らずな野郎です!

友達とだったら今頃キャーキャー大騒ぎしまくりで、超楽しいはず!なんてテンションの低いヤツなの!と、ふつふつと沸き上がる苛立ちをどうにか抑えられたのは、何故か頭の片隅にある流れ星のせい!?

 

そうだ!これね、これ!!

腹立つ気持ちを押さえなさい。

笑ってやり過ごしなさい。

夫婦二人になる日も遠からじ。

私が、こんな風に心穏やかに、何事にも動じず、笑ってやり過ごせば何の問題も起こりはしないのです。

って神からの、いや東北といえば寂聴さんの訓示のごとく、少ーし笑って見せると、あやつはなんと、「え?アイスお前もいるの?」と宣った!

そんなもんいるかぁ、いらんわい!!

 

 と言っても簡単に湖には沈めることもできず、私は逮捕もされずにまた宿に帰ったわけですが、

その夜、娘からの電話で流れ星の意味がもっと深かった事に気づくのです。

 

 

娘の電話は、近所の私の友達が亡くなったことを知らせるものでした。

20年近く前に越して来た時、同い年だと知って急速に仲良くなった彼女、パートの仕事も一緒にしたし、何度もランチもした、スーパーで会って立ち話をして、今度はゆっくりお茶しようねと言って別れたのは最近のことじゃなかったっけ?

彼女に何があったのかは娘もわからないと言います。

まだ50代、まさかまさかのではありませんように!と願いながら帰路に着きました。  

 

 

結果、彼女は胃ガンでした。

3月に違和感を感じて診察をうけたものの手遅れでどうにもならず、と言うその内容を自ら受け止めて、6月頃までは家事もし、その後は外にも出れなくなって、最後の2週間だけホスピスに入ったと言うことでした。

 

 

 決して、流れ星が彼女の亡くなった知らせだとか言うつもりはないんです。その日彼女が息をひきとったのは事実ですが、流れ星との因果関係などあるはずもなく、ただ彼女が、夫婦のあり方や人としての生き様や、はてはよく彼女と話しをした死に様について、身を呈して、流れ星に託して、教えてくれたって思うんです。

 

私が彼女に最後に会った時には彼女は自分の終わりを知っていた。なのに、彼女は微塵もそんな素振りもみせず、私と世間話をして笑った。それこそが彼女の人としての人に対する思いやりだった。家でもご主人と二人の生活の中家事をこなし、外に行けなくなっても買い物だけを頼んで、自分で出来る限りの家事をした。遺影写真も自分で決めて、全然手のかからない病人だったよと旦那さんは苦笑していた。そんな凄い彼女!

 

 

私は、彼女に何かしてあげれたんだろうか?

ばかな話をしただけで、すぐ近所の家の中で泣いていたかもしれない彼女に気づかず、他の人と世間話に興じていなかったか?

もちろん仕方のない事だったろうけれど、なぜお茶に誘わなかっただろう?もう1度会いたかったし、話したかったし、笑いたかったのに、、、。

 

 

あれっ!

でもなんだか違う!矛盾していないか?

 

私が彼女と話したかったのは本心だけれど、それは私がだ。私が、私のために、言わば自己満足のために、彼女と話したかったのだ。そう思うと私は彼女の事を何も理解していない。彼女は私には会いたくなかったし、それが彼女の意思だった。話したくないし、笑いたくなんかなかった。きっとそれよりもっとしなくちゃならない事はあった!

 

思い出して!

彼女の声が聞こえた気がした。

そうだ、彼女とよく話しをした。死ぬときは誰にも迷惑だけはかけずに死んでいきたいねと。

なんだよー、格好良すぎるじゃん。

まるまる実行してんじゃん。いつも、いつも、私なんかより何でもできて、笑顔で、優しくて、もうお手上げだよ!

 

 

私は、もう1人、大事な友達を失っています。いつも頭にあります。

彼女はまさかまさかの嫌な亡くなり方をしました。その年だけは子供の夏休み中なのに、なぜか毎日のように会えていて、ちょっと秋風が吹きはじめて会わなくなった時の事だったので、夏から秋は少し切ない季節です。

理解してあげれなかった後悔、そういえばあの時も、私は走り始めたんだった!!

辛くて毎日走りながらばかーと叫んで、また泣いて、走った。そうして自分を苦しめて、それでなんとか自分を保てていた気がする。

 

いつやめたんだろう?何かキッカケでもあったんだっけ?何も思い出せはしないけれど、今また走り始めた私にはわかっていることがあります。

色んな人との関わりや、出来事、楽しいこと、悲しいこと、嫌なこと、そんなすべてをひっくるめた生きてる時間が私を癒してくれたんだなということ。助けてもくれないけど、苦しめることもなく時間が過ぎていくことに身を任せて、ただ、生きれば良いんです。

 だから、今は走っても泣きません。

むしろ、待っててくれる人がいるのだから、こころおきなく今を生きてやろーって、もし終わりが近づいてても笑ってやろーって、思っています。

ちょっと支離滅裂かなぁ。

でも、たった1つの星屑が流れ落ちていく様から辿り着いたこの考え方は、まんざらでもないなって思います。

今何か辛い人は、走ってもいいし、仕事をいっぱいしてもいい、遊んでも、もちろん泣いても、何をしても正しい!生きてるんだから。時間は生きてる限り流れてくから。

 

最後には宮本さんのお言葉!で。

みんな、頑張ろーぜ!!

 

 

 

 

 

久々の旅~! part ①

用事もあって、今東北に来ています。

 

この時期に東北なんて何年ぶり!旅行らしい(正確にいうと、今回も旅行とは言えない)旅行、がもう思い出せないほど昔の事で、用事の旅とはいえ、旦那と二人って皆さんはどうなのかな~って?

 

嬉しー、楽しー、な~んて時期がとっくに過ぎたおばさんは、むしろ旦那と出かけるのが億劫かつうっとうしい!女友達となら、どこへでも、何日だって行けるのに、たかがこの2~3日がめんどくせー、うぜー、の連発(内心でよ!)。

なんでなんでしょうね~?答えは一つ、もはやお互いがお互いを思いやれないから、でしょうね。そんな寂しい関係の二人ですから、さほど楽しいわけではありません😵 


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ただいま、夜の9時前、にもかかわらずこの真っ暗な暗闇!?

山あいのホテル?いや宿というべきかな、から外を撮ってみたんだけど、驚きませんか?灯りが一つも何もない!?

こんな暗闇、まるで停電。

 

確かに星も今日はあまり見えなくて、本当に山の麓、「熊出没・注意!」なんて立て看があるような所。黒一色の空にちょっと感動?して温泉に行ってみたら、ワアオ!貸し切り状態そっか、夏休みも終わりじゃん誰もいなーい❗❗

 

さすがに写真は無理だけど、露天風呂で仁王立ちして、暗闇に手を差し出すと、あまりに黒い闇がブラックホールのようで吸い込まれてしまいそうな気がするほど。

1人ボーッと暗闇に突っ立っていると、やはり人って不思議ですよね。色んな事を思い出したり、考えたりする。まずは大好きなエレカシ様の歌を、さすがに大きな声ではないけれど歌ってみて、歌詞の意味に酔いしれて、暫し温泉を堪能。

その後、これは以前に書いた怖い話しとリンクするんだけど、旦那の取ったこの宿は怖い話に出てくる彼と関連ある場所。(私なら取りません❗)で、そうなると生死について考えたりするのはごくごく必至のことで、(私は怖い事を怖いと考えない考え方をする人です)何か言いたい事があるなら出てきて、という言葉を頭に浮かべて、空を見上げたりしていると、、、

 

 

       流れ星🌠

が、サーっと。

いやいや、確かに驚いちゃいました

私、さっきも書いたように怖がりではないし、色んな事を関連付けて当たったように見せかけてる、と思っている占いが大嫌いなので、決して何かある、などとは言いませんがでも、一体流れ星を見れる確率とはどれくらいなんでしょう?

それを目にできたって事は、やはり何かを考えろってこと?と思っちゃうのはインチキな発想ではないですよね?

で、凄くぬるいお風呂だってこともあり、色々考えましたよ。用事があって来たわけですからもちろんその事、そしてその彼のこと、他にも若くして亡くなった友達のこと、などぼんやり思い出してました。

 

 私、若い頃、東北生まれだし暗いよ、を武器にしてました。厭なことがあったり、うまくいかなかったりするとしやーないじゃん、私は東北人、暗いんです、仕方ないんです、つまんないやつなんです、って。

でも結婚して子供が幼稚園の時、仲良くなったママ友が引っ越す事になって、最後に手紙をくれたんです。

さぞや切々と別れの寂しさが綴られているかと思いきや、最後だから言うね、で始まった手紙には、私が言う暗いとか東北だからとかの逃げ口上が大嫌いだったと書かれてました。全然そんな事ないのに、先手のつもりなのかいつもそんな事を言う貴方は自分の価値を下げている、と。

あまりの図星にドキドキしながら、何度か読み返し、何よと怒りながらも涙がとまらず、泣きながら、私変わるねと返事を書いたのを思い出しました。なんでだ!

でも、あの手紙がきっかけで今の私があるのは事実!ま、良いか悪いかは別として。

 

で、さすがに長風呂すぎるやろ?と出たわけですが、やっぱり流れ星って何かあるんじゃないかな?

もったいつけるようですが旅日記part ②に続きます。

 

おばちゃんが何かしらにハマル、についての考察

ただいま私はエレカシにどっぷりとはまっているんですが、世の中何かしらにはまっている、浸かっているおば様、かなりいらっしゃるように思います。

歌やタレントなどの芸能人に限らず、趣味系のこと、愛犬・愛猫などのペット、はたまた携帯・パソコンに至るまで、何かに没頭できるものがある方は、もはや一般的とも言える位。

それでも、これじゃないかも、と習い事サーフィンを繰り返すおば様たちと何かに注ぎ込む、尽くすおば様たちとに共通する思いとは、 あの頃(いつだ?)に戻りたい、一生懸命な時間が欲しいという、むなしさからの逃避じゃないですかね?

 

という私もその1人だなと思うんです。

 

現実からの逃避として、例えば不倫などしたらそれはそれでリスクがあるし、そうなってしまった人はあえてそうしたわけでなく、そうなってしまったという結果であって、本当に逃避したい人は、今の現状を打破したい、でもリスクなんかは嫌だし、楽しくなきゃ嫌だし、で、一番には幸せを感じたいんです。

 

簡単そうで、これはなかなか難しい!

ただ好きって事をしても見ても感じる幸せは一瞬のことで、まず持続性がない。持続性がないということは逃避はできないんです。

 

昔、片想いなんかしてた頃を思い出してみてください。あの純粋な一途な思い、それが報われようが、通じなかろうが、自分の気持ちに正直に幸せを感じたはずです。

そんな気持ちは大人になるに連れて段々と薄れ、結婚なんかした後は消え失せてしまい、(もちろん全ての人が、ではありませんが。)トキメキ、なんて死語のような日々になる。

そんな時、ふと耳に飛び込んできた歌声、メロディー、歌詞すべてに(古いですが→)ビビビと来て、誰?と調べてみたらその人がタイプだった。なんてことがあったら、運命とばかりトコトンのめり込んでしまう。だって、あの頃の純粋だった自分にその人に対してだけでも戻れるんですよ。それはそれは、久々に嬉しくなっちゃう体験!いわゆる疑似恋愛!

 

恋愛ってやつは、疑似だろうが、架空だろうが、はたまた片想いだろうが、両思いだろうが、皆、全力投球できる事でしょ?

今の私は充分オタッキーな方々の気持ちが理解できる気がしてます。自分が好きな事に没頭できる幸せを知ってる人の方が絶対幸せなはずなんです。

 

結果!

今何かをお探しの方へのお勧めは、やはりなんと言っても、エレファントカシマシ

とにかく聞いて欲しいっ!まず彼の声にしびれます(これまた、古っ!)。

ロックとはいえ、丁寧に歌う彼の歌いかたに質の良い音楽性があるので、抵抗なく聞けます。

それでもって、彼のルックス!

デビュー当事から変わることない体型に衰えなんか感じさせない若さ、それに加えて彼は母性に訴えてくる少年のような危うさや、純粋さを持ち合わせているから、ガッツリ視覚からも私ら女性はやられちゃうはず!

 

というわけで、またもエレカシアワーになっちまいやした。私が書くと必ずやこうなってしまうって事かいな。

でも、何かしら、皆様見つけましょう!

そして、それを日々の糧として、毎日をつつがなく感謝して、幸せを感じながら1日を終えれるようにしましょうよ。

風に吹かれて、みんな、頑張ろーぜ!

 

 

話題のかき氷屋さん「セバスチャン」に行ってきました!!

こんばんは!

今日はずっと前から行きたかった「セバスチャン」にお友だち3人と行ってきました!テレビで見てからずっと気になっていたのでやっと行けたという感じです!

 

ネットで調べて見ると電話などでは予約できず、予約台帳に書く必要があるみたいでした。「セバスチャン」のTwitterをみてみると、11時から予約台帳を出すとのことだったので、10時50分くらいには着くように家をでました!ちなみに、この時間は変わるようなので、行く方はTwitterで確認してから行くようにしてくださいね!

 

代々木公園から約8分とネットで見たのですが、迷ってしまい、着いたのは15分くらいでした。着くとそこには

 

行列!!!!!

 

正直驚きました!平日なのにこんなに早くに並んでいるとは!やっぱり人気なんですね!

 

外観はこんな感じです!

 
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 この写真は食べ終わってから取ったので、人があまり映っていません😢⤵⤵

 

そしてわたしたちは15時4分の予約が取れました!思ったよりも遅かったです>_<

 

まぁでも無事に予約取れたので、うきうき気分で待つことにしました!

待ち時間は渋谷のモディなどで時間を潰しました!

 

そしていよいよ15時4分のなり、席につきました!店の中はモダンな雰囲気でした!


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店内はそんなに広い感じではありませんでした!まぁお客さんが多かったので、より狭く感じたのかもしれません。

着いてからはメニューの紙を渡され、すぐに選ぶ感じでした!今回はお友だちと3人で行ったので、3つ頼みました!お会計も先にやるシステムでしたよ!

 

私が頼んだのは「いちごのクレームブリュレ」です!

 


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以外と大きい!!

さっそく食べてみると

 

なんだこれは!!!

 

中はふわふわなのに外はパリパリ!面白い食感!口に入れるとすぐになくなってしまいます!上のパリパリしてるところはメレンゲを焼いていて、その下にかき氷が入ってました!かき氷自体とても甘くていちごもたくさん入っていました!

 

お友だち2人が頼んだのは「マンゴーのショートケーキ」と「フルーツグラタン」です!

 


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どちらも一口もらったのですが、フルーツグラタンは上のカスタードクリーム?のようなものが甘くて、中に色々なフルーツが入っていて、とても美味しかったです!

 

マンゴーのショートケーキは生クリームがたくさん乗っていて、ホントにケーキのようでした!マンゴーも甘くて、中のかき氷もマンゴー味でした!

 

結構大きかったのですが、ぺろりと食べれました!かき氷なのに何故あんな風に作れるのか不思議ですね(-ω- ?) 

ちなみに私が一番好きだったのは、マンゴーのショートケーキです✨生クリーム好きな私にはピッタリでした!

 

まだまだ食べてみたいものがたくさんあるので、また食べ物についても更新していきます!🍔🍌🍕🍩🍡🍧

 

 

夏はなんで怖い話しなんだ!わからんが書いてみたい気分!

私がエレカシ好きな話はすでにいたしましたが、今日は車で出かける事が多かったので、ガッツリCDを聞きまくれて今はとってもご満悦!なので、もうひとつ、エレカシ並みに好きな事を書いちゃおうかな~、と思います🎵

 

結構好きな事の引き出しは持っている私ですが、これはちょっと幅広く好きで、でもあまり賛同を得られない好きな事の類いで、下手をすると引かれる場合もありなので、その事の理解者?仲よし?は、家族以外にはおりません(T0T)。でも好きだし、機嫌も良い事だし、書いちゃいます。それはね、、、、。

 

 

いわゆるホラー、ミステリー、おばけ、霊、がかかわる怖い話、見るも読むも聞くも、そして、書くも語るも好き😚💓💓なんです!

とはいえ、そこそこ生きてきたおばさんなので、酸いも甘いも知り、常識も充分身についているので、(おばさんでエレカシが好きロックが好き、と騒いではいるものの、いつも頭を振って叫んで、唄って、拳を突き上げているわけではないんですよ。少し、ほんの週の半分くらい、、。)死を冒涜する気などは毛頭なくって、恐怖スポットなる場所を訪れたり、肝試しやお化け屋敷の類いも全く好きではないんです。 

 

結局はフィクションなんです。確実なる作り物、そうである一番の映画は大好きです。話題になったものなら、和洋中問わず見ています。キャーなどと声はあげず、変な箇所はないか、このオチは?など、目を皿のようにして隅々ま先を考えながら見ています。なんと楽しいことか、グフフ!

 

ですが、ここで私は何の映画が恐くて良かったよーとか、あの本は凄いよー、エグいよーなんて話をしたいわけではないんです。

大好きな事だからこそ、、なんとなーく色々感じちゃったりするわけで、不思議なことのひとつやふたつがあったり、なかったり、、

そしてそれが、フィクションかノンフィクションか、の判断もお任せすることにして、、聞いて欲しいお話し、ちょっとあるんですよ、うーん、勿体つけやがって、ですよね~?!では、お好きな方だけお先へどうぞ!

 

chirozou world  始めちゃいますね!

よ  う  こ  そ !!

 

 

それは大分前、田舎に帰った時のお話しです。

20年ぶり位にクラス会の知らせが届き、久しく田舎に行くことのなかった私は、初めて参加してみることにしました。中学の時、仲の良かった子に一緒に行かないかと電話をもらった事もあって、なんとなくそろそろ行くべきかなという気になった気がします。お盆も近い夏の日でした。

 

私は早くに両親をなくし兄弟もいなかったので、田舎にはもう実家もなく、最終便までに帰れればよいかな位の軽い気持ちで、出かけました。

 当日は、誘ってくれた友達が駅まで迎えに来てくれました。久しぶりに会う友だち、とはいえ時間はすぐに戻り、私たちは二人で会場へ行きました。地元とはいえ、当時にはなかった洋風の居酒屋のような所です。総勢4、50名が来ており、女性はなんとなくわかるものの男性はわからない人も多く、まだ遠慮もあって親しい人同士で席についていました。それでも、一次会が終了する頃には皆もバラけていて、一緒に来た友達とも離れてしまいました。そして、二次会はそこの二階のカラオケということでした。

友達が洗面所に寄ってから帰ろうと言いに来たので、私は酔いを冷ましがてら座って待っていました。すると隣に1人の男性がやって来て、

「わかる?オレ、3組だった高見!」すぐに「ああ、学級委員だった?」と思いだし、そこで少し現況の話をしました。彼は高校卒業後地元の銀行に入り、今は係長だという話をしてくれました。

「この後は行かないの?」

 と聞かれ、「だって、遅くなると、」と言いかけた時、「ああ、うるさいんだ。ま、ここのカラオケならいつでも行けるしな。オレも母ちゃんうるさいから今日は帰るんだ。」と、電話が入ったこともあり、彼は出口へ行ってしまいました。

その彼を見送っていると、「はいはい、残ってる人二次会行くよ~」と幹事が来て腕をとるので、「私無理だよ、美佐と帰るよ。遅くなるとさ、」とトイレの方に目をやると、そっちの廊下の明かりはもう暗くなっていました。え、置いてかれた?とは思いましたが、他の女性たちにも手をひかれて、二階へと上がってしまいました。

 

二階に来たのは12、3人位でした。

カラオケとはいえ、歌うより話が弾んだ人が集まった感じで、私はいつ抜け出すか考えながら座っていました。すると「ようこちゃん、懐かしいなぁ、覚えてる?」と声をかけてきた男性がいました。「村川だよ。村川武司。」名前に覚えはありましたが全く面影がなく、それでも頷いた私の横に腰をおろし、彼は話しだしました。

それはあまりに普通の妻や子供や会社の愚痴で、私は「大変だよね」の相づちを打つだけでした。

その時、誰かの「放っとけそんなヤツ、いっつも文句ばかり言ってるんだ」と、声がして、「ようこもこっちで歌おう」の声に彼は立ち上がって部屋を出てしまいました。

悪いことをしたなという思いもあり、歌が終るのを待って「私も帰るね。」と声をかけると、「おー、じゃあ気を付けてな、って気を付ける間もないか」と誰かが言い、笑い声が聞こえる中私も外に出ました。

 

なんでしょう?なんだか変な感じがぬぐえないままでした。歩きながらも色んな事が浮かびます。

あれ?二次会に行かずに帰った彼はなんて私に言ったっけ?さっき皆は何で笑ってたんだ?最後に話したのは誰だっけ?間を開けずに出たはずなのにもういない?

なんだか頭に?がうずまくさなか、前方に男性の姿がありました。

「さっきはごめんね。」近づこうと駆け寄ると、「いや、本当だし、おれ、だめだから。」そう言って振り向きもせず、彼は歩き出します。

後を追いながらも、またなんだか変な気がして「ちょっと待って。」と走り寄っても彼は止まってくれません。その時、私にはさっきの続きのようにあることが思い浮かんでいました。

 

もう少し進んだ先の角を曲がるとそこは私の実家のあった場所だってこと。そして、彼、そうだ村川君!の家は確かこっちなんかじゃなくて逆の方向だということ。それと皆!みんなはなぜ私が、親が、まだこの町に住んでいるような話ぶりをしてたんだろう?すべて知ってるはずなのに、、。

 

怖がっている自分がいました。

村川君は今にも道を曲がろうとしている。

行かせない方がよいのか?どうしたらよいのか?早足になっても追いつかないのです。

そして、村川君は曲がってしまいました。

自分の家なんかもうないのに、駅へは行かずなぜか実家のあった方へ向かってる私。

そして、「村川君」叫びながら曲がった時、

 

私の実家は、やはりありませんでした。そして、村川君の姿もなかったのです。

 

不思議には思ったものの、家がなかったことで村川君は見間違いだたような気もして、時間もそんなになかった私は駅の方へと引き返しました。そして、家へと帰ったのです。

 

 それから、一週間も過ぎた頃でしょうか?クラス会で合ってアドレスを教えた友達からメールがありました。楽しかったね、また、会いたいね、などの文面の最後に「そう言えば、村川君って覚えてる?亡くなったらしいよ。」とありました。

驚いて私はすぐ彼女に電話をしました。「なんで?いつ?」の問いかけに彼女も驚きながら答えてくれたことは、、

クラス会のあった夜、町の外れにある沼の麓で自殺した、家や会社で色々あったらしい、鬱っぽかったみたい、クラス会で憂さ晴らしでもできたら良かったのにね、ということでした。

あの日、「放っておけ」と言った誰かがわかればこんなデマは広がらない。そう思った私はそのあと一人一人に電話をしました。けれどあの日村川君が来てた、と言ってくれた人は一人も、いませんでした。

 

一緒に行った友達にはなぜ先に帰ったのかと聞かれ、高見君には遠くから大変だったなと労われ、私が話しをしたのは誰だったのだろう。

あそこにいた皆は本当のクラスメートだったんだろうか?あの場所は?

中学最後の年に火事で両親をなくした私は、もうあの場所には行けないのでわからないのです。

 

 

長~いお話しになってしまいました。

色んな判断して貰えたら嬉しいです。拙い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。

まだまだあるんですよ。評判が良いようならまたぜひ、、、。