thirozousanのブログ

大好きな歌を聞きながら、嫌んなる事も日々のりこえようとしてるおばさんです。

久々の旅~! part②

変なところでおわってしまったpart①ですが、ちょっと長くなりそうだったものでm(_ _)m!

 


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 翌日は天気もよく用事を早くからこなし、それでも午後になってしまいましたが、少し観光に行くことにしました。

私は何度も行ったことのある場所ですが、主人はお初!さぞや喜ぶんじゃ、と思いきや、ふーん、と遠巻きに眺めたのみで、「アイスでも食うかな?」と売店へ。

これにはさすがに温厚?な私でも、後ろからどついて、目の前の湖に落として、スワンで引き殺したろか!と思ったほど。

 

なんてつまらんヤツなんだ!!

 

レンタカーまで借りて、わざわざ私が運転までして、連れてきてやったのに!礼儀知らずな野郎です!

友達とだったら今頃キャーキャー大騒ぎしまくりで、超楽しいはず!なんてテンションの低いヤツなの!と、ふつふつと沸き上がる苛立ちをどうにか抑えられたのは、何故か頭の片隅にある流れ星のせい!?

 

そうだ!これね、これ!!

腹立つ気持ちを押さえなさい。

笑ってやり過ごしなさい。

夫婦二人になる日も遠からじ。

私が、こんな風に心穏やかに、何事にも動じず、笑ってやり過ごせば何の問題も起こりはしないのです。

って神からの、いや東北といえば寂聴さんの訓示のごとく、少ーし笑って見せると、あやつはなんと、「え?アイスお前もいるの?」と宣った!

そんなもんいるかぁ、いらんわい!!

 

 と言っても簡単に湖には沈めることもできず、私は逮捕もされずにまた宿に帰ったわけですが、

その夜、娘からの電話で流れ星の意味がもっと深かった事に気づくのです。

 

 

娘の電話は、近所の私の友達が亡くなったことを知らせるものでした。

20年近く前に越して来た時、同い年だと知って急速に仲良くなった彼女、パートの仕事も一緒にしたし、何度もランチもした、スーパーで会って立ち話をして、今度はゆっくりお茶しようねと言って別れたのは最近のことじゃなかったっけ?

彼女に何があったのかは娘もわからないと言います。

まだ50代、まさかまさかのではありませんように!と願いながら帰路に着きました。  

 

 

結果、彼女は胃ガンでした。

3月に違和感を感じて診察をうけたものの手遅れでどうにもならず、と言うその内容を自ら受け止めて、6月頃までは家事もし、その後は外にも出れなくなって、最後の2週間だけホスピスに入ったと言うことでした。

 

 

 決して、流れ星が彼女の亡くなった知らせだとか言うつもりはないんです。その日彼女が息をひきとったのは事実ですが、流れ星との因果関係などあるはずもなく、ただ彼女が、夫婦のあり方や人としての生き様や、はてはよく彼女と話しをした死に様について、身を呈して、流れ星に託して、教えてくれたって思うんです。

 

私が彼女に最後に会った時には彼女は自分の終わりを知っていた。なのに、彼女は微塵もそんな素振りもみせず、私と世間話をして笑った。それこそが彼女の人としての人に対する思いやりだった。家でもご主人と二人の生活の中家事をこなし、外に行けなくなっても買い物だけを頼んで、自分で出来る限りの家事をした。遺影写真も自分で決めて、全然手のかからない病人だったよと旦那さんは苦笑していた。そんな凄い彼女!

 

 

私は、彼女に何かしてあげれたんだろうか?

ばかな話をしただけで、すぐ近所の家の中で泣いていたかもしれない彼女に気づかず、他の人と世間話に興じていなかったか?

もちろん仕方のない事だったろうけれど、なぜお茶に誘わなかっただろう?もう1度会いたかったし、話したかったし、笑いたかったのに、、、。

 

 

あれっ!

でもなんだか違う!矛盾していないか?

 

私が彼女と話したかったのは本心だけれど、それは私がだ。私が、私のために、言わば自己満足のために、彼女と話したかったのだ。そう思うと私は彼女の事を何も理解していない。彼女は私には会いたくなかったし、それが彼女の意思だった。話したくないし、笑いたくなんかなかった。きっとそれよりもっとしなくちゃならない事はあった!

 

思い出して!

彼女の声が聞こえた気がした。

そうだ、彼女とよく話しをした。死ぬときは誰にも迷惑だけはかけずに死んでいきたいねと。

なんだよー、格好良すぎるじゃん。

まるまる実行してんじゃん。いつも、いつも、私なんかより何でもできて、笑顔で、優しくて、もうお手上げだよ!

 

 

私は、もう1人、大事な友達を失っています。いつも頭にあります。

彼女はまさかまさかの嫌な亡くなり方をしました。その年だけは子供の夏休み中なのに、なぜか毎日のように会えていて、ちょっと秋風が吹きはじめて会わなくなった時の事だったので、夏から秋は少し切ない季節です。

理解してあげれなかった後悔、そういえばあの時も、私は走り始めたんだった!!

辛くて毎日走りながらばかーと叫んで、また泣いて、走った。そうして自分を苦しめて、それでなんとか自分を保てていた気がする。

 

いつやめたんだろう?何かキッカケでもあったんだっけ?何も思い出せはしないけれど、今また走り始めた私にはわかっていることがあります。

色んな人との関わりや、出来事、楽しいこと、悲しいこと、嫌なこと、そんなすべてをひっくるめた生きてる時間が私を癒してくれたんだなということ。助けてもくれないけど、苦しめることもなく時間が過ぎていくことに身を任せて、ただ、生きれば良いんです。

 だから、今は走っても泣きません。

むしろ、待っててくれる人がいるのだから、こころおきなく今を生きてやろーって、もし終わりが近づいてても笑ってやろーって、思っています。

ちょっと支離滅裂かなぁ。

でも、たった1つの星屑が流れ落ちていく様から辿り着いたこの考え方は、まんざらでもないなって思います。

今何か辛い人は、走ってもいいし、仕事をいっぱいしてもいい、遊んでも、もちろん泣いても、何をしても正しい!生きてるんだから。時間は生きてる限り流れてくから。

 

最後には宮本さんのお言葉!で。

みんな、頑張ろーぜ!!