thirozousanのブログ

大好きな歌を聞きながら、嫌んなる事も日々のりこえようとしてるおばさんです。

自分考察 好き?嫌い?

自分の事が好きな人と嫌いな人、世の中には一体どちらが多いんでしょうか?

 

単純に考えると、自分の事だし好きで当然でしょ?の気がしますが、私も含め友人にも、好きなわけないじゃん!という人は結構多くいます。

 

例えば、嫌いな事や物を好きになる努力はやろうと思えばできるけれど、いざ自分のこととなると、努力だけではなかなか好きにはなれません。嫌な面ばかりが目について自己嫌悪に陥る、治したいと思うあまり人と比べてさらにめげる、自己否定、とどちらかといえば悪循環になりやすい気さえします。

明るくとか、前向きにとか、なりたい自分やお手本はいっぱいあるけれど、そこに近づくことが難しい。

難しいからこそ、もう諦める、も、もちろんあると思います。今まで生きてきた過程に於いて自分は形成されてきたわけですから、その状況、環境などによっては無理!と決めつけてしまうのも仕方ない気もします。

でも、じゃあ好き、嫌いと分かれてしまうのは何故なのでしょう?

 

私はこの頃、大分自分は自分に甘くなってきたと感じていますが、若い人はよく自分にご褒美などという言葉を使いますよね?

欲しいもの、特に自分としては高価に思う買い物をしたい時など、頑張ってる私にご褒美、という風に。

私は、それは前置きのように付ける事で、欲しいものを買って良いと自分を納得をさせるというか、買う口実、一種の言い訳にしているのだと思っていました。

でも、自分が大好きなうちの娘、に云わせるとそれは本心らしいです。自分が欲する物が高価になればなるほど、本当に自分は頑張ったなと思うし、自分が好きだからこそ、相応しいものを買ってあげたいと思うと。

娘ですから、何を小娘が偉そうに!とは思いますが、その小娘の友達やらにも同じような事を言われると、今の子ってスゴいなぁって思うんです。自分が好きと思えるなんて、そう言えるなんて、なんて幸せなんだろうと思うんです。

だって、自分が好きなら、自分のどんな事でも許せるでしょう?自分に優しくもできるでしょう?そして、自分を大事にもするでしょう?その結果、自分の満足感に繋がって、他の人も認めてあげる事ができるでしょう?

って思うんです。

違うんですかね?

 

先ほどの好き嫌いを考えた時も、自分が好きな人たちはいかに愛情をたくさんもらって、どれだけ肯定されてきたか、という人との関係性やあり方にこの事は関わってるんじゃないかって思います。

愛してくれる親や家族が、自分を受け入れ、認めてくれて大事に育てられた人達。比べると私らおばさん世代、と言ったら語弊アリですね。少なくとも私はですが、そこまで手をかけられたわけではなかったし、どちらかといえば同時期の子供たちはしたいこと、欲しいものにはダメダメと言われ、否定が常でしたから、ある程度の年齢の人は、我慢はできるものの自分が可哀想に思えたり、そこに卑屈さも加わって自己否定の気持ちが強くなってしまったと考えるのは間違いでしょうか?

 

と、ここまで書いた時、自分が嫌いだという人はそれだけ自分が気になっている、気になるというのは嫌いだからではない、どこかで好きになりたい意識があるのだという、子供の頃、よく好きな子にいたずらをしていた男の子を思い出すような話の記事を目にしました。

なるほど、そういう考え方もあるんだな、とは思いました。

 

でも、本当は好き?

そんな自分ではわからないような潜在意識ってあるんでしょうか?

人って本来は自分が好きなんでしょうか?

 

 

その記事の続きでは、自分を認める、許すことが大事ともありました。これもよく聞く事ではありますが、これこそが難しいです。

嫌いな自分のその嫌な箇所を認める、そんなもの、見たくもないからこそいつまでも自分が嫌いなんです。

許すとは認めること?認めなくても理解すること?いづれにせよ、嫌だから見ないように蓋をしてるのに、対峙する事事態したくない。

 

私はどちらかといえば、自分の嫌いなところは嫌いなままというか、認識もせず、気にもせずにいる気がします。それでもたまに顔を出す嫌な自分を見ずにいたいため、逆に自分に付加を課して頑張っている自分や好きな自分を増やす事に勢を出しています。

それはどちらかといえば、自分を苛めてさらに辛くしているように思われたりしますが、私にはその方がずっと楽です。

自分を苛める行為には、一生懸命さがついてくるし、そんな自分がいとおしく酔えます。それに自分に課す付加にはきっと加減があります。辛いとはいえ限界までなんて事はなくて、自分が楽しめる限界点までのプロセスを楽しんでいる。

あれ?自分がいとおしい?酔う?楽しませている?!それって、、?

 

さっきの記事の話だ!

自分が嫌いなはずなのに、自分を楽しませたいと思っている!

もろ、自分を気にして、あげく心地よくさせてるじゃないか!!

 

そーなんだ!!

 

どんなに回り道した考え方をしたり、ひねくれた考え方をしても、自分は自分を楽しませたいし心地よくしたいんだ。

自分だから、自分以外の誰でもないから、自分で楽しませるしかないし、それならとことん楽しくさせたいし、させてもよいはず。

自分の性格や考え方、嫌いな部分はいっぱいあるけど、それをいちいち認めたり、治そうとして苦しんだり、無理、嫌、なら、何もしなくていい。

どんな自分も自分だから。だれにも代われないから。

 

自分で考察して、少し気が楽になりました。

適当で良いんだ、そう思いませんか?

嫌いな自分だけど、楽しませる方法は誰よりも知ってるんです。好きなものを食べたり、好きな歌を聞いたり、友達とお喋りしたり、癒して、笑って、好きな自分を作る方法も誰より一番よく知ってるんです。

笑っていれればそのうち自分が好きになる、そんな気がしませんか?

自分が嫌いな人、そんな日々を送って行きませんか?行きましょうよ、一緒に!!